こんにちは。

茶太郎との回想日記6日目です。

 

 

今日は茶太郎の最後の日のこと。

 

茶太郎が逝く時、

私自身の死生観を

再確認させられたように感じています。

 

 

私の死生観については以前のブログで書いています。

興味のある方はどうぞ。

「死んだらどうなる?」

「生きてるから死ねる。死ぬから生きれる…ような気がする~」

「人って誰でも死んじゃうんだよね…(ノД`)・゜・。」

 

 

茶太郎がいつものフードを

食べなくなったのが7月23日(木)。

 

「あれ?体調悪いのかな…」

と思っていたら、

「えっ、茶太郎の身体の中で何かが起こってる…

もしかしたら死んじゃうかも…」

と思ったのが7月25日(土)。

 

普通なら、即動物病院へ!だと思います。

 

けれど、茶太郎は、超がつく病院嫌い。

注射を打たれた時は、

あの大人しいコが私に噛みつきました。

 

なので、

往診はお願いしましたが、

病院に連れていく事はしませんでした。

 

その選択で良かったのかどうかは

未だに答えは出ません。

 

 

ただ、私は、

茶太郎を入院させて

冷たいケージの中で

知らない人ばっかりの中で

何も分からず、

次から次に嫌な事をさせられて

大好きな私の側にいる事も出来ず…

最後の最後に

嫌な思いをしながら死ぬ・・・。

 

それだけは避けたかった。

 

本当に死を迎えるのであれば、

私の側で

住み慣れた家で

いつもの生活の中で

静かに逝って欲しいと思っていました。

 

 

実際に茶太郎は

我が家で私の側で亡くなりましたが

私は、かなりの葛藤を抱えた最後の5日間でした。

苦しかった。

 

 

けれど、茶太郎は

全部、分かってたのかもしれない…

と思うような優しい目で見てくれていました。

亡くなる2日前の写真。

苦しそうなのに優しい目…。

 

 

そして、亡くなる日。

 

私自身、

やっぱり病院に連れて行った方が

良かったのかもしれない…

と思い、茶太郎に

「茶くん、ごめんね。

早く病院に行けば良かったのかもしれない(ノД`)・゜・。

明日、行こうか。

嫌な事はしないでもらうから…

出来る検査だけしてもらおう。」

と語りかけた後、

きちんとトイレでおしっこして

自分のケージに入って

ちょっと苦しんだと思うけれど

安らかに息を引き取りました。

 

私が語り掛けてから

10分後のこと。

 

よっぽど、病院に行きたくなかったのかな…

なんて思わせてくれるタイミングでした。

死に顔が本当に安らかだった事が

私にとっては救いだったなぁ…

寝てるようにしか見えないもんなぁ…

 

 

人も動物もいつかは死を迎えます。

 

茶太郎はちょっと早すぎたけれど、

茶太郎の寿命だったと思います。

 

たぶん、

寿命だけは何かしようがしまいが

変えられないんじゃないかな…。

 

 

家で看取る事の

ツラさと素晴らしさ、

両方をしっかり教えてくれた茶太郎でした。

 

 

今日はここまで。

回想日記、明日で最後。

また明日。

犬なのに超寒がりの茶太郎…(笑)

よくぞここまで見事に

自分で布団とクッションに潜り込んだよなぁ…(笑)